訪問日2022年6月6日
ナローゲージ Пролетарское ПТУ – タジキスタン
タジキスタンには世界的有名УЖД ナローゲージがある。
まずは2006年にロシア人が行ったレポートを見て頂きたい。
2004年旅行記
Пролетарск-Сулюкта / Сергей Кривов, Владимир Свириденков / 2004
食パンのような小さな機関車、ПЭУ1が走っていた時の様子だ。
このナローはタジキスタンからキルギスに跨っており、もし全線に乗ったとすると必然として多少密入国になるルートになっている。
こんなものが2022年も走っていたら大問題であるが、残念ながら既に線路も電柱も完全に撤去され、廃線となていた。
記述方法
- プロレタルスコエ PTU
- スルクタ狭軌鉄道 Сулюктинской узкоколейной железной дороге
などネット上で記述方法が混在している。スルクタはキルギス側の終点の地名。プロレタルスクはタジク側の起点の地名。
ПЭУ1 – PEU1
Электровоз ПЭУ1
- Длина — 10 670 мм
- Ширина — 2310 мм
- Колея — 750 мм
- Конструкционная скорость — 45 км/ч
小さい!!
TEU1は1970-1984年にウクライナのドニプロ電気機関車工場で製造された。
製造数は24両
Сулюктинской узкоколейной железной дороге и узкоколейной железной дороге в Текели (Казахская ССР)
→スルクタ狭軌鉄道と、カザフのテケリで使用するために作られた。
2009年現在、プロレタリスク(スルクタ狭軌鉄道)とテケリで一部車両が動いている とのこと。
PEU1 — List of the vehicles — RailGallery
食パン型機関車はRailgallery上では現役?扱いになっているが、実際はそうではないと思う。キルギス側でまだ動いている可能性はゼロではないが….
なお現行のRailGalleryには写真が無いが、ウクライナ戦争前にはトレピクに写真があったのだ。(現在サイト閉鎖)
プロレタルスクの場所
プロレタルスクはホジェンドから西に15km程度の所にある。
google Mapでも2022年現在は線路が南東方向に分岐しているように描かれている。これがプロレタルスクUZDである。
航空写真にすると2022年7月現在でも線路と架線柱が立っているのが確認できる。この航空写真がいつのものなのかは不明。
しかし筆者が2022年6月に訪問し、線路は完全に無いと確認した。
プロレタルスクUZD概要
プロレタルスクナローについては探してもwikiすらない状態で非常に情報が少ない。キルギス側終点のsulukutuでは石炭を主として石灰などが採れていた。
こちらのサイトによると1907年にコルツォ駅まで開業した。
1913年に困難な山岳区間のスルクタまで開業
1978年に電化した。
>38km(Proletarsk-Tovarnaya)-電化されています。
>1980年代には、ヴォストチナヤからプロレタルスクに毎日最大15本の石炭を積んだ列車が送られました。2000年代初頭 URの活動は、stまでの2回の旅客列車の運行
とのことで80年代は岩手開発並にドカドカ来ていたらしい。
2000年初頭には旅客もあったとの事。
’95年以降税関が無かった’との記述もありその頃は今ほどキルギスとタジキスタンは憎しみ合っていなかったのだろうか?
実際に行ってきた
地図
google mapをもとに探索した中の概略図を作った。写真の位置①… を記載している。
キルギス領土はSuluktuが終点であり概要の通り、オメガカーブを繰り返す山岳路線で大変エモかったはずである。気になる人はYandex mapなどで探してね。
プロレタルスク駅構内
上記の2006年のサイトと同じ場所を撮影している場合、【2006 hogehoge】と注釈をつけた。
右奥の空き地がナロー跡
【2006 Узкоколейный электровоз ПЭУ1-018 на станции Пролетарск】
右の落とし穴は上のリンクの所だろう。
ナロー跡の空き地と入替作業をするChM
こちらでも紹介した。国鉄プロレタルスク駅構内の撮影地(?)
写真を撮りまくっていたところ、入替機の運転士の1名に”お前はCIAか”などと突飛な事を聞かれた。パスポートとビザを見せて、その場はなんとかなった。
CIA疑いマンに聞いた所「2020年にスクラップになった」と言っていたので、それが確実な年かは分からないが2020年ごろまでは鉄路や電柱は残っていたものと思われる。
訪問時、左の小屋が車庫だと思ったのだが(の割には修理工場とかいてあり、なんでだろうと思いつつスルーしていた)右奥の白壁のがデポだったらしい!!次写真参照。
廃墟探索としては痛恨のミスである。
【2006年 Депо Пролетарск { Proletarsk e/f }】
上リンク写真の左端の建物と一致している。
かなり可能性は低いが車庫に車両がまだ入っている可能性はある..? 殆ど0に近い可能性なので多分ない…
しかし修理していなければあそこまで白くて奇麗な壁にはならないだろう。
この路線は休止してから15年程度経っているはずなのだが、修繕し、もしかしたら何か倉庫等に再利用されているかもしれない。それも僕が見に行かなかったので分からないが…
ワゴンレモントノエデポ 僕が車庫だと思い込んでいたもの。隙間からスマホを突っ込んで撮影したが、中には車両は無かった。それは確認したので断言できる。
ボロさからしたらこっちだと思うじゃん.. (言い訳)
既に線路は撤去されている。架線柱もたまに倒されたまま残っているが、数は多く無い。一部は運び出したのだろう。
【ПЭУ1-018 на “сортировке”. Ст. Джабар Расулов (бывш. Пролетарск)】
上のリンクのおっさんが立っているカーブはこの辺なのではないだろうか(リンク先の建物が見当たらないが..)
おっさんとの立ち話
ここで通行人のおっさんと話したところ15年から20年前に閉鎖したとのこと。
あとタジクには仕事が無いって言ってた。
現在2022年で15年前であれば2007年、20年前では2002年に休止となる。2006年にロシア人の訪問記があるので、おそらく15年前というのが妥当だろう。
とすると、ロシア人は潰れる寸前に行ったLucky Guyである。
wikipedia によると2009年に一部車両は動いていると書かれているが(先述)、実態はいつまで動いていたかは不明。晩年は何となくたまに動いていたんじゃないだろうか?
追記
まだ生きてたってこと?
貨物は5月から動く予定と運転手が言っていたが、訪問時特別に動かしてくれたらしい。
また記述によると彼は2003年にも行っており、「2003年の私の最後の旅行とは異なり、キルギスタンの領土への狭軌鉄道を通過することは現在不可能です.国境警備隊はすべての乗客をチェックし、アシスタントを持つ運転手だけが許可を持っています.」
とのこと。
枕木が残されている。木製のショボい枕木と思いきや、頑丈そうなPC 枕木で驚いた。
民家の間を進む。
木は植えてあるが、線路に近すぎる気がするし若いので休止後植えたのか?
主要ではない道路にある小さい踏切。とはいえ思ったより車は来るし、道に住民が歩いている。
住民の歩道となっている。
【Железнодорожный переезд, Пролетарск – Сулюкта】
踏切の写真。
場所: ガソスタの近く
バザールの裏をまっすぐ進む。バザールは写真の右手にある。
Bazar Ashrofはプロレタルスクで一番大きい中心のバザールであり、安い食堂もあり、マルシュの発着場にもなっている。
左手には農地が広がり、シルダリア川から取水したであろう水で潤っている。農地には農民が大勢で何か作業していた。
訪問時は6月で既に38度という猛暑であったが、左に見える大き目の木の下には水路が流れている。木陰にいれば涼しかった。
この木の間を走る現役当時の食パン釜はエモかっただろう。
踏切から南方を眺める。このままどんどん進むとキルギスに入国してしまう。
場所: バザールの南
左にたまにある土の盛り上がりは架線柱の跡なのだろうか?確証はない。
山々が見えるが、あの中にオメガカーブを繰り返すエモい山岳路線があったのだろう。
この先は猛暑で疲れたし、かつ国境地帯のため、歩行するのはやめた。キルギスは国境に関しては非常にイライラしているヤバい国であり近づくのは危険だ。仮に涼しい3月などに来ても近づくのは止めるべきだ。
ただし地元民は住んでいるので、写真奥に豆のように人影が見えると思う。
おわりに
現役当時に見たかったが、余りにも手遅れ過ぎた。
廃線の様子ということで記録にとどめておく。